リスペクトという共感

今の自分にピッタリ、という自分ゴト化で生まれる共感。理解できないけれどなんかワクワクする、それも共感。

つい使ってしまう「共感」という常套句。

つい企画書に「自分ゴト化して共感を喚起する」などと書いてしまいます。常套句的に使っていることも多いと思います。「共感」は耳ざわりも良く、そう言われると何となく共感してしまう便利な言葉でしょう。同じ意見であることを理性的に感じとるのが同感だとしたら、共感は心の波長が合うというか共鳴する状態でしょうか。相手に疑われていては共感は生まれないので、まずは信じてもらうことが共感の第一歩です。というか信じることは、もう共感していると言ってもよいでしょう。広告のメッセージも、言いたいことを言っているだけでは、共感は生まれません。相手の立場で考えよう、誠実に語ろうという想いが必要でしょう。相手が「自分のコト」としてとらえられるように、工夫して語ることも共感につながるでしょう。堅苦しくとらえず、共感はもっとゆるい感情ということも言えるでしょう。以前、広告表現について20代の男女にグループインタビューした時のこと。「良い・悪い」「好き・嫌い」ではなく、「許せる・許せない」という反応が多かったことが印象的でした。グルインでは、CMのコンテとそのコンセプトを提示したのですが、「許せる・許せない」で盛り上がっていました。「オンエアするのが許せない内容」ということではく、この「これはありだよね」くらいの感情が、共感の入り口という気がします。「ほっとしたね」「わるくないな」くらいの感情も共感の入り口でしょう。共感とは、そのような「はかない感覚」でもあります。「泣けた」「刺さった」というような、激しい一撃を与えるのではなく、はかなく優しい感情が薄皮のように重なっていって、やがて強い共感に育っていくということもあると思います。

共感には、さまざまな喚起の仕方が。

したがって、この微妙な感情を喚起したり醸成したりすることは、企画書に惰性で「共感を喚起する」と書くほど簡単なことではありません。テクニカルにとにかく面白くする、感動させるという手はありますが、あえてエンターテイメントしないで、実直に語ることで共感できるというテーマもあるでしょう。また、味方であると宣言する、あたかも自分で見つけた答えであるかのように誘導する、などさまざまな戦術が考えられるでしょう。さらに、特殊な商品やターゲットに対しては特殊な手法をとることもあるでしょう。「共感スイッチ」は、商品によって、ターゲットによって、テーマによって違ってきます。

分からないけどワクワク、も共感。

「共感とは何か」について、あらためて考えるきっかけになったのは、あるノートPCの新製品のローンチ時のプレゼンでした。クライアントから「あなたの企画書に、共感を獲得すると書かれているが、この製品にとっての本当の共感が何なのか、もっと突き詰めて考えなければ」と問われたのです。斬新な機能で形状にもインパクトがあり、価格もハイエンドなフラッグシップ機。それへの共感とは何か、そもそも共感は必要なのか、という議論になりました。高額商品なので、「許せる」感覚で買われることはないはずです。そして複雑な機能への共感が、CMや雑誌広告で創れるのか。ネットとオフィスくらいしか使わないユーザーにはオーバークオリティなので、そもそもCMなのか?先進機能が価値の源泉であることは動かせないと決め、今までのPCとは一次元上の機能便益をもたらし、それによりユーザーのクリエイティビティーの次元を上げることができる、とコンセプトを置きました。ユーザーとメーカー双方の志に対する、相互のリスペクトという共感を喚起しようと考えたわけです。このモデル自体が大量に売れることはないかもしれませんが、ユーザーをリスペクトしているというブランドの意思を表明するシンボルにしようと。今の自分にぴったりという共感もあるけれど、今の自分を高めるために、より高次元のものを持つ高揚感や満足感という共感もある、それがこの時の答えでした。