ゲートボールに目からウロコ

知る機会がなかったら、一生誤解していたはず。固定概念の怖さを実感。

コロナで狭まる心身の行動範囲。

2度目の緊急事態宣言で、「人と会う機会が減って、心の行動範囲が狭くなった」と感じている人もいるでしょう。心身ともに狭い範囲で生きている感じ。たとえ日常生活に不便はなくとも、これが「新しい日常」ということなら、晴れ晴れとした気分にはなれません。真面目に考えて自粛している人ほど、そんな暗い気持ちになっているとすれば、それもまたコロナと言えるでしょう。そういう方は、カメラ片手にご近所探訪とか、身近なところで今まで気づかなかったことを発見していく、という方向もあると思いますが、月並みです。カメラや料理など独りで取り組んでいくことは思いつきますが、人との交流を広げていくとか、仲間をつのって何かを始めるという行動は、今はなかなか起こしにくいでしょう。そう思っていた矢先、東京ゲートボール連合の方に話をうかがう機会がありました。これから始めるのであれば、ゲートボールはおすすめです。

ゲートボールの認識を一新。

「ゲートボールはお年寄りの暇つぶし」。そう考えていましたが、その固定概念が変わりました。話をうかがった方たちも、若手の経営コンサルタントとデザイナー。そして初めて競技を見たのですが、プレイヤーの皆さんも、大学生もいれば、小さい子どもづれの家族チームもあり、意外と若い方が多いのです。開成中学・高等学校のゲートボール部が強いとも聞き、びっくりです。競技の中身についても、大きな誤解がありました。ボールを打って転がしてゲートに通していき、誰がいちばん早くゴールさせるかを競うものだと思い込んでいました。しかし、それは「グラウンドゴルフ」という競技です。道具が似ているので混同しがちですが、ゲートボールはもっと複雑な競技です。5人でチームを組む団体競技だとは初めて知りました。スパーク打撃などの独特な技を使いながら、ボールをただ転がすというわけではありません。さらに誰が先にゴールするかを競うのではなくて、チーム全体の戦略として相手チームとの駆け引きで戦う「頭脳戦」というイメージです。とにかく自分の既成概念にあるゲートボールとはまったく異質なものでした。

知るほど固定概念とは逆の実像。

YouTubeで検索すると、競技の動画がありますので見ていただければわかると思いますが、個人個人が独走するのではなく、チーム全体で固まってゲームを進めていきます。強い選手がどんどん得点していくというより、相手チームの打撃を防ぎながら、チーム全体で得点をあげていくという戦略です。カーリングを連想します。年齢性別に関係なく5人いればチームが作れるし、フィジカルディスタンスもとれ、あまり広い場所もいらないので、コロナの時代に適しているとも思いました。さらに車いすの方もいっしょにプレーすることも可能なので、なかなか他には例の無いユニバーサルなスポーツなんですね。もうオワコンだと思っていましたが、実はこれからのスポーツと言えます。ゲートボール人口は、減ったとはいえ日本に約10万人いるのに、オワコンだと思われているのは、皆が実像を知る前に、誤ったイメージを植え付けられてしまったことが原因でしょう。ゲートボール全盛期はたしかに高齢者の競技人口が多かったので、「年寄りのもの」と思い込まれていました。80年代に週刊文春で糸井重里さんが連載していた「萬流コピー塾」というコーナーがあるのですが、そこでゲートボールがお題になったことがありました。秀作として選ばれたのは、たしか「飽きるか、死ぬか。」というコピーでした。そういうイメージが当時から今に至るまで連綿と引き継がれてきたといえるでしょう。

固定概念を超えていこう。

既成概念にとらわれて反射的に本当の情報に目をそむける反応を、「センメルヴェイス反射」と言います。ゲートボールで語るにはちょっと大げさですが。センメルヴェイスは、19世紀のウィーンにいた医師の名です。勤務していた病院では、出産した産婦の産じょく熱による死亡率が、お産婆さんが取り上げた時より、医師が取り上げた時の方が3倍も死亡率が高いことに気づきます。そこで「医師の手についている何か」が原因だと考えました。当時はまだ細菌という知見はありませんでしたが、医師の手を消毒することを説きました。これは「医師が死因であった」と言うことに等しいわけです。そのために無視され、迫害され、精神病院で最期を迎えます。死後になってセンメルヴェイスの説が証明されました。ゲートボールへの理解無き固定概念もそうだと言うのはおおげさですが、いつまでも固定概念に縛られていて、「ああ、知ってる。お年寄りのものね」とスルーしていたら、ゲートボールを永遠に誤解していたかもしれません。世の中、まだまだそういうことは多いかもしれません。