ソリューションの物語性

結果を出すことだけが、ソリューションではない。プロセスのコンテンツ化と共有こそが、共感の源泉になる。

オリエン返しではないソリューションへの評価。

前回はプレゼンについて、オリエン返しではなく、想定外の提案をすることもあると述べました。たとえば「CMのオリエンだったのに、イベントの提案で返す」というようなケースです。与えられた課題に対して、予想外または予想を超えたソリューションで応えられた場合は、その強いインパクトが力となって採用されることはあります。期待に応えるな、期待を超えろということです。官庁などでは、まず門前払いですが、チャレンジャブルな風土の企業であれば歓迎してもらえるでしょう。しかし、いくらチャレンジャブルな企業であっても、ただ驚かすだけではだめで、オリエンに示された費用も考慮した、結果を出すまでの説得力のあるストーリーの構築が必要です。そのようなチャレンジャブルな企業ほど、結果責任をしっかり問われることが多いからです。「あなたたちの挑戦に乗るが、プロセスにも費用対結果にもコミットせよ」という感じでしょうか。

プロセスを共有するソリューション。

さて、ここまでは企画の決定プロセスについてですが、そのような内幕は、広告の受け手である消費者は知りえず、関係ないことです。いくらオリエンを返しではない結果だったとしても、消費者にとってCMはCMですし、イベントはイベントです。それだけでは、ソリューション自体の鮮度は無いわけです。そこで、世の中にとって新鮮なソリューションが力を持つことになります。たとえば「AKB48グループ」であり「本屋大賞」でしょう。商品やサービスという「結果」を買うのではなく、その背景にある「物語」も込みで共有するというコンテンツの登場です。どちらも、結果である製品を「買うの?買わないの?」と提示するのではなく、「いっしょに作りあげていく」という、いわばソリューション自体のコンテンツ化と言えるでしょう。たとえば「本屋大賞」であれば、選考委員が選んだ権威ある文学賞より、全国の書店員が選んだ作品という方が身近に感じますし、書店の売り場で「読んでもらいたい=買ってほしい」というモチベーションも上がるはずです。文学的に優れた作品と、多くの人に読んでほしい作品では、結果的に重なることはあっても選考のコンセプトが違うので、比較してもしょうがないですが。さらに言うと、本屋大賞の場合もAKBの場合も、その成り立ち自体も物語として発信しています。どんな人が、どんな想いで、どうやって作ったのか。それも込みで、本屋大賞というソリューション、AKBというコンテンツの価値なのだと思います。NHKの「プロジェクトX」なども、結果は偉業ですが、それよりも誰がどうやって結果を出したかが面白いわけです。人はソリューションの結果より物語性に共感すると言えるでしょう。

物語があるソリューションにこそ共感が。

結果をゴロンと与えて終わりではなく、答えをいっしょに見つけていくというような、物語の共有を目指すソリューションは、今後ますます増えていくでしょう。ビジネスの場面でも、お客さまの声を元に製品開発するとか、ユーザーの声を活かして成長していくとか。さらにそのコンセプトをあえて発信していくような流れです。だれしも「自分のアイデアがカタチになった」ということは、うれしいものです。元来、商品開発時も表現開発時も、ターゲットの意識調査はしています。すでに商品開発ストーリーを積極的に発信している企業もあります。しかしそれは舞台裏でやっていることです。たとえば「100万人で作るプロジェクト」を発表して実現していくというソリューションとは違います。国政選挙が近いのですが、そのようにとらえている有権者は多くはないでしょう。そんなに甘いコンセプトで票が動くことは無いとは思いますが。もしくは地方選挙のように「1000人で作るプロジェクト」レベルであれば機能するのでしょうか?商品の場合は、実際に100万人との共同作業で作れば、とりあえずその100万人はメーカーなので、買ってくれたり他に奨めたりしてくれそうです。

仕掛人の存在もソリューションの物語の一部。

ソリューションの物語化には、仕掛人の存在も重要です。「誰がこんなことを」に大きな興味が湧くからです。そういう仕掛人は、以前は表には出てきませんでした。それこそ「プロジェクトX」のように「地上の星」の存在です。今はあえて出てくることによって、物語に深みが加わります。「プロジェクトX」は「陰の人の物語」ですが、AKBは秋元康、台湾のコロナ対策は天才IT大臣という「表の人の物語」と言えるでしょう。そのため、ソリューションする人の戦略とセンスに光が当たります。下心が感じられると、仕掛人を露出することは逆効果になってしまいます。ターゲットに対する愛があるか?そのソリューションに対する信念があるか?を感じてもらえるかが大事です。そしてもちろん、そのソリューションには鮮やかな独創性がなければいけません。表現力だけではなく、研ぎ澄ました時代感覚、ソリューションへの想い、手口の鮮やかさ、結果に対する想像力など、それらを満たしてこそ、プロフェッショナルの仕事としての物語になるわけです。それゆえ、物語を共有できる優れたソリューションは、なかなか生まれにくいのでしょう。

ソリューションする側の想いが透けるリスクも。

コロナという国民の困難に対して「布マスクを2枚配る」という国家的ソリューションが、国民に対して、誰が、どんな想いで、どんな物語を提示したのかが思い起こされます。外形的には「1世帯にマスクを2枚配る」というシンプルで明快なソリューションで、その意味ではまったく問題は感じません。しかし明快だったがゆえに、コミュニケーションという視点から見ると、コミュニケーシターゲットである国民に対して「国は、国民の安全・安心をこのレベルで考えている」という明快なメッセージを発信したことになりました。ソリューションはメッセージそのものなのです。マスクと言う「モノ」を通して、その奥にある「想い」が図らずも伝わってしまいました。ソリューションには、その課題にどんな想いで向き合い、どれだけ深く考え、ターゲットにどんな便益や幸せをもたらしたいのか、時代や社会をどう認識しているのかといった、ソリューションを提供する側の価値観が現れてしまうと思います。それが見事だった時に皆が共感するのですが、それは諸刃の剣でもあるわけで、「誰が考えたんだ、こんなこと」となってしまうこともあるのです。