マンスプレイニング
物知りの説教を「マンスプレイニング」と言う。男の「man」と説明の「explain」の合成語で、鏡の国のアリスの中には、二つの言葉をかばんに詰め込んだ「かばん語」として出てくる。
知っていることは過剰に語るが、知っていることしか語れない。ひたすら同じことの繰り返し。話題が進んでも自分が知っていることに話を引き戻すので、実りある会話に発展しない。自分の知識を披露したくてウズウズしているので、会話の中に糸口を見つけると、食いついて講釈が始まる。
そういう人に限って、皆が驚くような新しい情報を持ってなどいない。会議でその人が語りだすと渋滞が起きる。よく討論番組で議論の流れと脈絡なく自分の知識を語りだす人がいるが、マンスプレイニングの典型例だ。その人を遠ざけたり、自分の方からが離れてしまえばいいようなものだが、それができない環境や関係の中で始まるのが、マンスプレイニングというものである。
広告の場合は、これからの時代は、といったメッセージを企業が語りだすと、マンスプレイニングと受け取られてしまいがちだ。これからの時代をいっしょに考えましょうと言えば、印象は違ってくるし、タレントやキャラクターに語らせることでマンスプレイニングと受け取られないようにすることが行われる。
企業側の人間が語るのであれば、経営者ではなく技術者に語らせることも効果的だ。かつて「技術って、人柄です。」という日立製作所の名作があった。技術者たちが実直にぎこちなく語る。これがモデルやタレントだったなら、流ちょうに語るほど嘘くさくなり、それこそ技術のマンスプレイニングになってしまたっただろう。