成人病と生活習慣病

時代と共に言葉も変わる。「生活習慣病」はかつて「成人病」と呼ばれていた。生活習慣病は、故・日野原重明氏によるネーミングだ。成人と言う言葉も、今や成人式くらいしか使われない。成人映画を今はR18+と言う。しかし、成人という言葉が使われなくなったことが、生活習慣病に言い換えられた理由ではない。

成人病は、加齢によって罹りやすくなる病気の総称であり、実際、罹患するのは30代、40代以上が多い。成人病から受けるイメージは「大人が罹る病気」だが、生活習慣病は「生活習慣に起因する病気」である。同じ病気でも、「大人が罹る病気」では予防法も想像できないが、「生活習慣に起因する病気」なら想起できる。生活習慣なら改善できるからで、子どもの頃から予防に気を配ることもできよう。成人という属性を、生活習慣という「コト」に変換したことで対象が広がり、自分事として捉えやすくなったわけだ。深刻さを印象づけることにも成功した。

本質を言い当て、その価値を高め強化する。これが言葉の力だ。一方で、フリーターやニートなど、本質を曖昧にしてしまうと言われるネーミングもある。広告業界でも、コンセプト、ベネフィット、エビデンスなどを日常的に使う。コンセプトは日本語に言い換える適切な語が見当たらないが、都合の良い言葉だ。エモーショナル・ベネフィットではなく、あえて「情緒便益」と言うCDもいるが、この方が強くてありがたい響きがある。カタカナ語を使わずに企画書を書くと新鮮かもしれない。その場合も、コンセプトは置き換えが難しい。

また、カタカナにして意図的に意味を曖昧化しているのではと疑いたくなるネーミングもある。「ホワイトカラーエグゼンプション」と言えば先進的なイメージがするが、「頭脳労働者脱時間給制度」では恐ろしく感じるはずだ。コロナ禍の中で、「オーバーシュートを防ぐためエビデンスにもとづくアラートを出しハンマー・アンド・ダンスで」などと言っていた方がいたが、これでは「分からない人はついてこなくて結構」というメッセージを発していることと同じだ。どう伝わるかへの想像力が働かないなら、コミュニケーシは成立しない。

「フレイル」もそんなネーミング。フレイルとは、要支援・介護になる前の、機能が衰えている状態を指す用語だが、当事者の高齢者や家族には分かりにくいのではないか。軽やかな響きなので切実さも伝わらない。「フレイル」に深刻さを感じないのは濁点が無いことにも関係がある。メタボリックシンドロームもカタカナだが、濁点があるので重い感じがする。ともあれ当事者に分かりにくい言葉では、今後も普及しないだろう。日野原先生なら、何と名付けたのだろうか。