新型おひとりさま市場

新しい日常は、新しい「おひとりさま」を生むのか?「私」に向けてのメッセージしか届かない時代に。

ご存知ですよね?「おひとりさま」

「おひとりさま」とは、元々は生涯を独身で通す人で、それを楽しむというポジティブな生き方のことを言いました。しかし、今や「おひとりさま」という概念は「ひとりでいることを楽しむ生き方」として広がっています。実は、そのような人は昔からいました。「ぶらりひとり旅」とか「ひとりメシ」を楽しむ人たち。しかし、そういった人たちのことは、「ひとり旅派」とか「ひとりメシ愛好家」とか言いようがなかったのです。そのような価値観や行動様式を持つ人たちに、あえて「おひとりさま」と命名したことで、新しいマーケットができました。積極的に「ひとり」を楽しむ人たちの価値観に合わせただマーケットです。単身者向けの保障サービスのように、外形的に一人でいる人向けのサービスや商品ではありません。そこで提供されるものは、あくまで「一人でいる」ことを楽しむ人たちの体験を豊かにするためのサービスや商品です。

孤独のグルメは「おひとりさま」か?

「おひとりさま」というと女性を思い描きがちですが、「孤独のグルメ」の主人公である井之頭五郎さんは「おひとりさま」と言えるのでしょうか?「おひとりさま」を「一人を楽しむ人」と規定するのであれば、五郎さんは立派な「おひとりさま」と言うことができるでしょう。「孤独のグルメ」の成功要因は、井之頭五郎キャラクター設定の妙や、松重豊さんというキャスティングが成功だと思います。五郎さんは、生活の基底部が孤独なわけではなく、まあ大勢でワイワイ騒ぐのは苦手でしょうが、経営者であり営業マンという、人とつながることを仕事のベースとしているからです。つまり、人並みな日常の中で生活しているが、「時に一人の時間を愛する人」であり、そこに多くの人が共感できる普遍性があります。加えて、松重さんというキャスティングが、いい仕事をしているわけです。一人めしという、わびしい外形とうらはらに、食の時空間に没入して自身と対話するという内面的世界の豊かさ、そのギャップが、ドラマの世界の魅力の源になっているのでしょう。

孤独を愛し、孤独だからこそ分かる。

「孤独のグルメ」状態にある五郎さんが「おひとりさま」的世界だとすれば、「おひとりさま」とは、見た目は一人ぼっちだけれど、その人の想像力の中には豊かな世界が広がっている状態のことでしょう。「孤独のグルメ」というタイトルについても、それを「孤独なグルメ」としなかったところに、作者の想いの深さを感じます。「孤独な」グルメだと「一人ぼっちで食べる」という外形的な形容にすぎませんが、「孤独の」には「孤独【を愛する人】の」とか、「孤独【だからこそ分かる】の」など、その意味に広がりを持たせることができます。一人であることを楽しむ、一人でいるからこその解放感、一人だからできる内面との対話、そんな豊かな時間を大切にする価値観を持った人、それが「おひとりさま」と言えるでしょう。コロナ禍の中で「おひとりさま」の概念は変わっていくのか、そして、そこで交わされるコミュニケーションはどこへ向かうのでしょうか?

「おひとりさま」の幸せ、「ひとり」のストレス。

孤独を愛するといえば、「ソロキャンプ」もブームの兆しがあります。ソロキャンプYouTubeも最近よく見かけます。家族や仲間でバーベキューをワイワイ楽しむというようなキャンプとは違い、ソローの『森の生活』の世界と言ったら大げさですが、一人でいるからこそ味わえる大地との一体感や、静寂の中でふと自身の内面を見つめたり、瞑想の境地を体験するなど、ふだんの日常では経験できない幸福感が味わえるからではないでしょうか。このような体験が、一人でいることのポジティブなベネフィットだとすれば、一人でいることのネガティブな面も顕在化したのが、コロナの時代です。これまでは、みんなで行動していたからこそ、その中で守られてきたと思っていたのに、一人置き去りにされたと感じる孤独感。今までなかったストレスに、耐えられない人もいるはずです。世の中が全体的に一人で行動する場面が増えている今、ポジティブに一人を楽しめる「おひとりさま」は増えていくでしょうが、その反面、一人でいることにストレスを抱える人たちも増えていくと考えられます。この両者に対するソリューションが必要となるでしょう。

一人だからつながっていたい、つながりたくない。

オンライン飲み会のことを、今までいっしょにやっていたことを、それぞれの場所でやっているだけはないか、そこまでしてやって楽しいのか、やる意味があるのか、と言う人もいます。しかし、オンラインでもいいので、あえて仲間とつながっていることに、今という時だからこそ意味があるのだと思います。コロナを機に、オフラインはもちろん、オンラインであっても、もう誰かとつながること自体がストレスであるとネガティブに考える社会になってしまうことが恐ろしいからです。今後は、オンラインだけでもいいので誰かとつながっていないと不安な人たちと、もうつながること自体を放棄するという人が増え、やがて、つながり依存派とつながり拒否派に両極化していくのかもしれません。それは、オンラインに対するリテラシーの違いにも関係あるでしょう。もちろん多くの人々は、時と場合によって、ほどほどのつながりを続けていくのでしょうが、つながり依存派と、つながり拒否派という認識の共同体が固定化してしまうことも考えられます。そして、その認識共同体の双方ともが、社会の中で孤立してしまう可能性もあります。そして、「時にはひとりでいたい」という、これまでの「おひとりさま」に加えて、「一人でいる時も誰かとつながっていたい」そして「一人であるからこそ誰ともつながりたくない」という層に対しての、新しい「おひとりさま市場」が生まれていくのかもしれません。

この世に一人だけの「私」に届く、言葉の力を。

オンライン社会を支える技術面も進むでしょうが、コミュニケーションのあり方そのものが変化していくことも考えられます。広告コミュニケーションにおいても、多くのマス広告に見られる不特定多数に向けたコミュニケーションは、さらに力を失い続け、一人の「私」に向けられたメッセージしか届かない、共感されないという流れが加速していくのかもしれません。それはSNSなどによって、すでにあった潮流ですが、さらに広がっていくのでしょう。誰かに向かって発信されたメッセージに実感がなく、世の中に漂う空気に感染しないと決めた「私」が増えていくことでしょう。そんな、「私」に届く言葉の力が、これからのコミュニケーションにはますます重要になってくると感じます。「国民のみなさん」と十把ひとからげに言われた時、その「みなさん」の中には自分が入っていないのではないかと懐疑する人が増えている。コロナは、そんなコミュニケーション状況の変化も生み出しているからです。